「それがやさしさじゃ困る」と「水月」の雪
ブックデザインをお手伝いさせていただいた、鳥羽和久さん(文)、植本一子さん(写真)の著書『それがやさしさじゃ困る』(赤々舎)が発売されました。
☟書影デ〜ス♡
「それがやさしさじゃ困る」と「水月」の雪
ブックデザインをお手伝いさせていただいた、鳥羽和久さん(文)、植本一子さん(写真)の著書『それがやさしさじゃ困る』(赤々舎)が発売されました。
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『それがやさしさじゃ困る』
鳥羽和久(文)+ 植本一子(写真)
発行:赤々舎
ブックデザイン:根本匠
並製/232 ページ
デザインの話は別の機会に委ねるとして、原稿を読み、作りながらぼやっと考えていたことを記しておこうと思います。「ぼやっと考えていたこと」だから、直接本と関係ない個人的な記憶の結びつきが多く、著者の鳥羽さんのお考えとずれているかもしれません。
なのでこういった個人サイトの奥に小声で書くくらいの、(日記でも小論文でもエッセイでもない)閉鎖的な感想文に留めています。作りながら考えを整理するために書き留めていたメモ帳から出発し、あくまでも個人的な覚書としてまとめているものです。
『それがやさしさじゃ困る』は教育の場を背景にしながら、「やさしさ」を善悪や量で判断するのではなく、関係の手順(観察→問い→応答→距離)に引き戻して考えている本だと僕は理解しています。大人と子どもの非対称を消さず、先回りで埋めず、順序を飛ばさないという大人側の姿勢の必要性が多く語られています。
この「順序」という観点は、ケア倫理を説いたジョアン・C・トロントの考えと重なります。*¹ トロントは「気づく」「引き受ける」「実際に世話する」「受け手の反応を聴いて調整する」という四つのケアの局面を示し、それぞれに注意深さ・責任・能力・応答性という徳が対応すると述べています。つまり、ただ善意を向けるだけでは十分ではなく、順序を守り、相手の反応を聴き直す循環がそろってはじめて「よいケア」と呼べる、という考えです。のちには「ともにケアする」として、連帯や信頼といった社会的な次元を補う必要があるとも語られています。
ここで話題は少し飛びますが、個人的に思い出したのは、『水月』(F&C/2002年)というビジュアルノベルゲームと、その攻略対象のヒロインとして登場する「雪」というキャラクターについてです。プレイしたのはもう20年近く前ですが、『水月』の物語のディテールはとても印象に残っています。メイドを名乗る彼女は、記憶を失った主人公が言葉にする前から欠けを埋めてくれます。湯の温度も椅子の角度も、黙っていても生活の隅々を整えてしまう。彼女の献身は救いであり、倒れた人が最初に息を整えられる避難の季節を与えてくれます。
ただ同時に、その救いが長く続くと「自分で選ぶ」筋力が眠ってしまう危うさも作品は描いています。『水月』の物語の底には柳田國男『遠野物語』にある〈マヨイガ〉のモチーフが流れています。『遠野物語』には《遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ。マヨヒガに行き当りたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でゝ来べきものなり。》*²(『遠野物語』第六三段 )とあり、これは「救いはすべてを与えられるものではなく、自分でひとつを選び取ることで成立する」という、マヨイガ伝承の核心を表した言い回しです。与える側の善意だけでなく、受け手の「選び方」にも責任が置かれているということですね。「すべてを持ち出すのではなく、ひとつを選ぶ」。その節度が、救いを依存に変えないための線になっています。
『水月』の雪ルートでは、最終的にその分岐が描かれます。「雪の灯りの下に留まる道」と「外の世界へ出る道」。二人だけの充足は温かいが世界からの撤退を伴い、外に開けば未完成でざらつくが他者の声が増える。主人公にとってどちらも救いになり、また異なる救いの形は代償も異なります。雪はどちらか一方を強制するための人物ではなく、分岐の前でこちらに「選ぶ」主体を返す存在としてそこに立っています。だからこそ彼女の救いは断ち切れない。献身は相手の応答が消えたときに圧へと変わり、救いであり続けるのは応答を回復する場として働くときです。ここで問うべきは、満たしているのが主人公の具体的なニーズなのか、雪自身の不安か存在意義なのかという線引きです。応答性が弱い先回りは、相手の自律や選好の表明を消してしまう(=受け手の声が測れない)ため、前述のトロントの倫理の規範においては、リスクの高いケアになります。
先に埋めず、まず観察し、観察のあとに短く問い、待って、待つことを放置と混同しない——『それがやさしさじゃ困る』で書かれているのは、やさしさの道徳ではなく作法です。
近づきすぎれば融合、離れすぎれば放置。プロのケア職が「距離を学ぶ」必要を強調する議論は、私的ケアにも同型的に当てはまると思います。雪の無限接近は、安心を与える代わりに相互の境界を曖昧化し、相手の成長機会(自己回復・現実への接続)を奪う危険を内包します。
四つの局面の輪が途切れないように、速度より順序を重くする——この本はその具体を示しているように感じます。
『水月』の雪と『それがやさしさじゃ困る』は、同じ一点を別の形で照らしているように自分には感じていました(違っていたらすみません)。やさしさは量ではなく手順でできていて、訂正や選び直しのたびに更新される関係のかたちであり、雪の献身がこちらの応答を消すなら、それは「困る」やさしさに変わります。でも、応答を回復するための余白として灯るなら、そこには確かな救いが残ります。
マヨイガの古い話は、全部を抱えず、いま持てるひとつだけを持って、その「ひとつ」が、相手に対して善意を圧にして先回りをしすぎない最初の線になると思っています。
僕自身も仕事で不安がよぎると、仕上がりに不安が滲まないようにとつい先回りし、余白を埋め直し、足りなさをそのままにしておくことを忘れてしまうことがあります。先回りして満たすことも、すべてを引いてしまうことも、どちらも簡単だけれど、誰に対しても、順序を急がず応答の場を残せれば、それだけで、やさしさは少し困らなくなるんじゃないかと思っています。
2O25.O9.21 「それがやさしさじゃ困る」のためのメモ
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*1 『モラル・バウンダリー ケアの倫理と政治学』ジョアン・C・トロント・著/杉本竜也・訳 2024
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b643914.html
TARB書評 Joan C. Tronto, Moral Boundaries: A Political Argument for an Ethic of Care Routledge, 1993年
https://tarb.yamanami.tokyo/2021/06/0024-joan-tronto-moral-boundaries.html
*2 日本古典文学摘集 遠野物語 六三 家の盛衰 - マヨヒガ
https://www.koten.net/tono/gen/063/
参考
*『水月』商品情報サイト(リンク先18禁)